(VOVWORLD) - スペインが共和国になった1930年代には、自治への願望として政治的に表出し、ガリシア、バスク、カタルーニャは自治州という特別な地位を獲得しましたが、後のフランコ独裁政権の下で、そうした願望は厳しく抑圧されました。
カタルーニャの独立問題で緊張が高まっているスペインでは、中央政府は、独立派政治団体の幹部2人を「反乱」容疑で拘束しているなど強固な姿勢を示しています。一方、バルセロナではおよそ20万人が参加する大規模な抗議デモが行われ、スペイン政府に対する反発が強まっています。
独立の是非を問う国民投票を呼びかけるデモ(写真:AFP/VNA) |
緊張エスカレート
今回の緊張は、スペインのカタルーニャ自治州で10月1日、独立の是非を問う住民投票が行われたことから発したものです。カタルーニャ州政府は住民投票のあと、独立を数週間延期すると発表し、中央政府との交渉を模索してきましたが、独立運動を主導してきた団体の幹部が拘束されたことなどをきっかけに、再び対決姿勢を強めています。
中央政府は、住民投票は憲法に反するものとして、その結果を認めないと強調し、州政府に対して今月19日までに独立宣言を撤回しなければ、自治権の停止などの実力行使に踏み切ると警告しています。
一方、カタルーニャ自治州のプチデモン首相は自身の所属する政党の会合で、中央政府が同州の自治停止手続きに踏み切れば、正式に独立を宣言する方針を表明しました。
問題の源
スペインは1714年に、カタルーニャ州の州都バルセロナを制圧しました。スペインは1つの国家の形になりましたが、自分たちを「スペイン人」より、カタルーニャ人、バスク人、ガリシア人などと自任するいくつものコミュニティーで構成され、それが今も残っています。
スペインが共和国になった1930年代には、自治への願望として政治的に表出し、ガリシア、バスク、カタルーニャは自治州という特別な地位を獲得しましたが、後のフランコ独裁政権の下で、そうした願望は厳しく抑圧されました。1970年代後半にスペインが民主国家になると、バスクや、カタルーニャなど17の自治州を持つ準連邦国家という形を取ることでした。
カタルーニャ州の立法機関での投票(写真:AFP/VNA |
カタルーニャ州は2006年に自治憲章を改定しました。スペインの保守派政党は、憲法裁判所に異議申し立てを行いました。憲法裁判所は2010年、新たな自治憲章の重要な部分を違憲と判断しました。カタルーニャの多くの人は、これは中央政府に自らののアイデンティティーを尊重する意思はないという新たな証拠であり、侮辱と受け止めました。
打開策は?
緊張がエスカレートしている中、中央政府は、カタルーニャで新たな選挙を行うことを提案した模様です。憲法裁判所が違法と判断した住民投票ではなく、中央政府が認可する選挙で今後の進展についてカタルーニャの有権者の声を聞こうというのです。
一方、カタルーニャ自治州政府筋は、新たな選挙は「優先事項の一つではない」としながらも、可能性は排除しませんでした。しかし、カタルーニャ自治州外相は「現時点で選挙は検討されていない」と述べました。そのため、現時点で、打開策はまだないと言えないでしょう。