アメリカ軍の爆弾で破れた国旗を繕ったチャン・ティ・ビェンさん

ハノイ便りの時間がやってまいりました。

ホアイ こんにちは。ホアイです。

フン こんにちは。フンです。今日のハノイ便りの話題をご紹介する前に、58年前、フランス植民地主義者との戦いが終結した1954年ごろにおけるベトナムの歴史について、ちょっと説明したいかと思います。

アメリカ軍の爆弾で破れた国旗を繕ったチャン・ティ・ビェンさん - ảnh 1



ホアイ そうですね。1954年5月7日、ラオス国境に近いベトナム北西部にあるディンビェンという地区で、ベトナム人民軍が実施したディンビェンフー作戦で勝利を収め、9年間にわたった抗仏戦争に終止符を打ちましたね。

フン そうですね。その後、同年7月、ベトナム政府とフランス軍の妥協のもとに、ジュネーブ協定が成立しました。協定では、ベトナム民主共和国の軍隊は北緯17度線より以北に、バオダイのベトナム国とフランスの軍隊は17度線の南側に集結することが定められました。

ホアイ それから17度線の北側で翻るベトナムの国旗の姿は南北統一に対するベトナム人民軍と国民の強い願望のシンボルでしたね。

フン でも、アメリカ軍と当時の南部傀儡政権にとって、17度線に(ひるがえ)っている国旗は爆撃の標的となりました。幾度(いくど)も爆撃を受けたにもかかわらず、ベトナムの金星紅旗は日夜を問わず、翻っていました。

ホアイ その国旗がいつでも(ひるがえ)っていたのは17度線上にあたる中部クアンチ省ビンリン県に住むチャン・ティ・ビェンさんの大きな功労のおかげでした。

フン 今日のこの時間はアメリカ軍の爆弾で破れた国旗を(つくろ)ったチャン・ティ・ビェンさんについてお話しましょう。

ホアイ そうですね。ビェンさんは北緯17度線にあたる中部クアンチ省ビンリン県ビンタイン村に生まれました。抗米救国闘争といわれたベトナム戦争時代、これは敵軍との戦いが最も過酷で、熾烈を極めた時代でしたね。

フン そうですね。ビェンさんはアメリカ軍の爆発が夜から夜明けまで行われた日もあることを記憶しています。

ホアイ ジュネーブ協定が締結された1954年いらい、北緯17度線の以北にあるヒェンルオン川の(ほとり)には大きな国旗が掲げられています。これは南北統一に対するベトナム人民軍と国民の渇望のシンボルとされていますね。

フン そうですね。ベトナム人民軍と国民のその願望を消し去るため、南部の傀儡政権とアメリカ軍は日夜を問わず、この地区に大量の爆弾を投下しました。こうした日々について、ビェンさんは次のように語りました。

(テープ)

「家には針と糸があるので、国旗を(つくろ)うことにしました。男はどのように繕ったか分からないからです。いつも国旗が翻っているように一生懸命直しました。朝に、国旗が破れたらすぐに直し、夜にまた破れたらすぐに繕いました」

フン ビェンさんの話でした。抗米救国闘争中の5400日、アメリカ軍はこの17度線の北側に翻っていた国旗を狙って、爆弾を投下しました。同じ時間に、ビェンさんは自分の手で、破れた国旗を繕いました。ビェンさんにとって、国旗を繕うことは日常生活に行っている他の仕事と同じだと思います。

(テープ)

「破れた国旗をすぐ(つくろ)わないと安心できませんでした。そんな時、自分の名誉が失われるように感じました。ですから、国旗がすぐに掲げられるように頑張りました。そして、国旗が上がることがとても楽しみでした。そのため、幾度も徹夜をして、国旗を繕いました。」

フン ビェンさんの話でした。では、このへんで、ティータイムにしましょうか。ホアイさん。

ホアイ はい。北緯17度線上にあたるヒェンルオン川の両岸(りょうぎし)に住んでいる人々へ切ない感情を描いた歌(ヒェンルオン川の両岸に響く民謡)「Cau ho ben bo hien luong」をどうぞ。

ホアイ では話を続けましょう。1967年、アメリカ軍は北緯17度線にあるビンリン県に激しい爆弾を投下した時、子供や女性の命を守るため、北部の各省に避難させる命令がありました。

フン しかし、ビェンさんと村の女性のジェムさんは避難せず志願して、故郷に残ることにしました。二人は野良仕事をしながら、国旗を繕い、ひそかに地下トンネルを掘りました。ヒェンルオン村の村人の一人グェン・ティ・サムさんは次のように語りました。

(テープ)

「戦争中、すべての人々は避難しましたが、ビェンさんは志願して、村に残りました。北緯17度の北側に掲げられている国旗は南北統一に対する人々の信念を固め、人民軍と力を合わせて、アメリカ軍との戦いに励みました」

フン サムさんの話でした。現在、クアンチ省ビンリン県にある「北緯17度線の平和と南北統一への渇望」記念館で、抗米救国闘争に、国旗を繕っている女性2人を撮った写真が展示されています。

アメリカ軍の爆弾で破れた国旗を繕ったチャン・ティ・ビェンさん - ảnh 2


ホアイ 今年90歳になりましたが、ビェンさんは頭脳明晰で、子供たちに戦争時代のことを語っています。

フン それは素晴らしいですね。

ホアイ そうですね。おしまいに、歌をお聞き頂き、今日のハノイ便りを終わりにしましょう。

フン: 戦争が熾烈を極めたクアンチ省にちなんだ歌「古城の若草(わかくさ)」「Co non thanh co」をどうぞ。

ホアイ。リスナーのみなさん。今日のこの時間はアメリカ軍の爆弾で破れた国旗を何度も何度も繕ったチャン・ティ・ビェンさんについてご紹介しました。それでは、今日のハノイ便りの時間はここで終わります。来週のこの時間に又お会いしましょう。ごきげんよう

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