(VOVWORLD) -ヒェン町はハノイから東南へおよそ60キロ離れたフンイェン省に位置しています。ヒェン町は13世紀から有名な港町として知られています。
ホアイ こんにちは、ホアイです。
ソン こんにちは。ソンです。今日のこの時間は北部フンイェン省のヒェン町の遺跡群についてお伝えします。
ホアイ ヒェン町はハノイから東南へおよそ60キロ離れたフンイェン省に位置しています。ヒェン町は13世紀から有名な港町として知られています。当時、オランダ、日本、スペイン、ポルトガルなど世界の10カ国の商人が交易を行っていました。
ソン 商人たちはこの町に品物だけでなく、様々な方式の建築や風俗習慣を持ち運んできました。ヒェン町にある遺跡のほとんどは16、17世紀に建設されたものです。
ホアイ 当時、ヒェン町はベトナム北部の最も繁栄した国際港となってきました。ヒェン町が現在のハノイの前身であるタンロンに次ぐ2番めの都市でした。
フンイェン市人民委員会のブー・バン・トァン( Vu Van Thuan) 副委員長は次のように語りました。
(テープ)
「長い歳月と複数の自然災害を経て、これらの遺跡はいずれも改修、復活する必要があります。これらの遺跡はヒェン町の歴史を物語るものです。また、これらの遺跡は歴史、建築、文化などの分野においても価値を示しています」
ホアイ ヒェン町には16ヶ所の遺跡があり、遺跡群をなしています。この遺跡群の際立つ点は建築様式です。その建築様式は中国、西側諸国の建築とベトナムの伝統的建築様式の結合によるものだからです。
ソン その中に「鐘の寺」の意味であるチュオン寺、マウ神社、キムダン神社、文廟・シックダンなどベトナムの伝統的建築様式により建立されました。これらの遺跡には「麒麟・鳳凰・亀 ・竜」という四種の霊獣・霊鳥や仏教の伝説などをモチーフにした彫刻作品があります。
ホアイ ヒェン町には文廟・シックダンという歴史遺跡があります。この文廟はフンイェン省ラムソン地区シックダン村に位置しています。この文廟は15、16世紀に建立され、19世紀に改修されました。これはフンイェン省の象徴とされています。
ソン フンイェン省の文廟の敷地面積は6千平方メートルで、中には、三関、鐘楼、本殿、塔などがあります。この文廟は中国の孔子の師、チューバンアンというベトナムの有名な教師を始め、儒教の先祖を祀るものです。この文廟はヒェン町における重要な見所であり、ベトナムに残されている6つの文廟の一つです。ヒェン町の遺跡管理委員会の女性幹部グェン・テイ・ホア( Nguyen Thi Hoa) さんは次のように語っています。
(テープ)
「文廟はフンイェン省の向学心が高いという伝統を象徴することから、毎年、多くの観客を集めています。そのほとんどが学校の生徒や学生です。彼らは学習面でよい成績を収めるよう祈りに行くのです。ベトナムでは、フンイェン省のように文廟がある地方はあまりありません。現在、この文廟にはかつての封建時代に行われていた科挙試験に合格したフンイェン省出身の人々の名前が刻まれた石碑を始め、貴重な品々が保存されています」
ソン フンイェン省には文廟の他、鐘の寺とも言えるチュオン( Chuong) 寺があります。この寺はヒェン町の遺跡群の一つであり、フンイェン省の第一の名称と言われています。
ホアイ チュオン寺はフンイェン市ヒェンナム地区ニャンゾック村に位置しています。このお寺は最初15世紀ごろに建立されましたが、1707年に改修されたため、今日のような立派なものになりました。
ソン ヒェン町の遺跡群のガイドをしているグェン・テイ・リェン( Nguyen Thi Lien) さんは次のように説明してくれました。
(テープ)
「他の寺院と同じように、チュオン寺は仏様を祀る所です。諸仏の教えによりますと、すべての人々は悪をなさず、善を行い、自己の心を浄めるようにということです。寺院の前には石造の線香が残されています。この線香は1702年に建てられ、「石の柱」とも呼ばれています。つまり、この線香は天と地を結ぶものなのです。線香には鳥と蓮の花の模様が刻まれています。」
ソン 文廟やチュオン寺の他、ヒェン遺跡群にはマウ( Mau) という神社やメイ( May) という神社があります。また、宗教遺跡のほか、ヒェン町には昔からの旧家が保存されています。
ホアイ このような歴史的文化的価値があるヒェン寺が2015年、国家の特別な遺跡として認定されました。これはヒェン町の遺跡群の重要な価値を認めるものですね。
ソン そうですね。では、おしまいに一曲お送りしましょう。「~」です。
(曲)
「~」をお送りしました。今日のハノイ便りは、北部フンイェン省のヒェン町の遺跡群についてご紹介しました。それでは、今日はこのへんで。