中部フエ市の村人の集会所

ハノイ便りの時間がやってまいりました

音楽

ご機嫌いかがですか?皆さん、フンです。

ホアイ 今日は、ホアイです。今日のこの時間は中部フエ市の村人の集会所であるディン(亭)で保存されている貴重な資料などについてご紹介します。

中部フエ市の村人の集会所 - ảnh 1
ライテ村の集会場(ディン)

リスナーの皆さんもご存知のように、ベトナムのフエ市はグェン王朝時代に建設された遺跡群、特に、王宮で知られています。グェン王朝の王宮はフォーン川の北岸(ほくがん)にあり、17世紀頃から造られた城塞(じょうさい)を、グェン朝の支配となった1803年から20数年かけ、大規模に増築された王宮です。

ベトナム戦争でほとんどの建物が破壊されてしまいましたが、かつて行政が行われていた「太和殿」(だいわでん)や、歴代皇帝の墓である「廟」などが(わず)かに復元されました。王宮全体の復元作業は現在も続いています。

1987年、日本やフランスをはじめとする諸国が国際協力を(もう)()し、1993年には日本 人木造建築専門家により、午門(ゴモン)の修復工事が完了しました。これに続き1995年、日本政府は世廟(よびょう)の修復に出資しました。これらの遺跡群は木 造建築のため、白蟻(しろあり)台風(たいふう)()被害(ひがい)劣化(れっか)が進んでいるのが現状です。

そうですね。1993年にユネスコ世界遺産の文化遺産に「フエの建造物群」として、ベトナムでは初の世界遺産として登録されました。

フエの王宮へはフエの中心部に宿泊しているなら、歩いていける所にありますが、フエ駅や長距離バスターミナルからは、少し離れるので、タクシーを利用する方が早くて確実でしょう。

中部フエ市の村人の集会所 - ảnh 2

フエは観光の町ですから、多くのホテルやレストラン、商店、市場などがあります。ですから、旅行者にとっては快適な町のひとつと言えます。フエはベトナム王朝の故郷であり、民族の衣装アオザイや宮廷料理発祥の 地です。1993年ユネスコ世界遺産に認定されて以後ゆっくりと街は変化してきましたが大都市のハノイ、ホーチミンの喧騒(けんそう)とはことなる別のベトナムを体感で きます。

昔と変わらないなつかしのベトナムを感じるにはこのフエです。旧市街の碁盤(ごばん)の目(とお)りや王宮(おうきゅう)の周辺をシクロに乗りながら走ると、昔の町並みが味わえます。 フエの街はフォン川をさかいにヨーロッパの旧都のように旧市街、新市街に分かれています。

素敵ですねでは、この辺でティータイムにして、「 愛するフエ」をお届けしましょう。

音楽。

「愛するフエでした」。では話を続けましょう。フエは王宮があるだけでなく、お寺や集会所ディンが沢山あります。現在、50軒の亭ディンが残されています。その中でも、最も古い亭は1558年に建てられたフォントゥイ県ク・チャン村にある亭です。

この亭ディンには漢字で書かれた資料や貴重な木材で作られた対句、村を守る神様の像などがあります。特に、クチャン村の先祖を偲ぶ儀式は今日まで維持されています。この亭は村人の精神的な()りどころとされています。クチャン村の一人であるグェン・ゴク・ケットさんは次のように語っています

「テープ」

「私はクチャン村の子供としてこの村で生まれたんです。成長したのち、村を離れなければなりませんでした。故郷に戻ってくる時があれば、感動したも のです。特に、村の亭ディンは何回も修復されて、綺麗になっています。毎年の旧暦の7月になりますと、住民たちは集まり、先祖を偲ぶ儀式に参加します」

ケットさんの話でした。フェ市の亭ディンは貴重な資料を集中する所であり、古都フエの伝統文化や歴史発展が反映されています。外敵と戦い、国家建設の過程を反映する勅令がそのまま保存されています。

中部フエ市の村人の集会所 - ảnh 3
ズオンノ村の集会場(ディン)

レ王朝時代に建てられたフーロク県ビンミ村にある亭では、ホァンサーとチュォンサー群島に対するベトナムの領有権が確認される資料も存在しています。その 資料によりますと、250年前、グェン王朝はホァンサー群島を守るため軍を派遣しました。この資料はベトナム外務省に手渡されたそうですよ。

そうですか。特に、フエ市のルォンクァン村の亭は1887年のドン・カィン王の勅令を大切にしています。これについてルォン・クァン村のダン・バン・ティェップ村長は次のように話しています

「テープ」

「わが村の亭では勅令が沢山ありますが、これまで保存されている勅令は9つあります。先ごろ、私たちは勅令を祭る儀式を盛大に行いました。」

ティェップさんの話でした。これらの資料と現物を守るため、トァ・ティェン・フエ省文化スポーツ観光局は収集しながら、復元作業を積極的に行いました。それと同時に、全国の博物館及び研究家と協力し、これらの資料をベトナム語に翻訳しました。

2009年から、7万の資料ページが収集され、パソコンに保存されました。これは貴重な資料の保存におけるトァ・ティェン・フエ省の努力によるものです。

ではここで、歌をお聴きいただき、今日のハノイ便りを終わりにしましょう・

リスナーの皆さん、今日のこの時間は部フエ市の村人の集会所である亭ディンで保存されている貴重な資料、現物についてご紹介しました。それでは、今日のこの時間はこれで終わります。又、来週お会いしましょう。ご機嫌よう

こちらはベトナムの声放送局です

それでは、今日のこの時間は終わります

リスナーの皆さん、さようなら。

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