(VOVWORLD) - ジエムさんにとって独立系ドキュメンタリー映画は、自分でテーマを見つけ、自ら資金を調達しなければならないものの、自身の良心に従って自由に制作ができるという、彼女自身の性格と希望に見合うものです。
「霧の中の子どもたち」が先月の第23回ベトナム映画祭のドキュメンタリー部門で「ゴールデンロータス賞」を受賞したことで、若手監督ハー・レ・ジエムさんの受賞歴にまた一つ賞が増えました。この映画は今年のアカデミー賞でドキュメンタリー賞の候補トップ15にノミネートされた初めてのベトナム映画でもあります。そして、2021年の「アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭」の国際コンペティション部門で、この映画を手掛けたジエムさんは最優秀監督賞を受賞しました。
2021年の「アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭」で最優秀監督賞を受賞しているジエムさん |
1992年に東北部バクカン省で生まれたジエムさんは、少数民族テイ(Tay)族出身で、幼いころから元小学校教員だった父方の祖父の影響でたくさんの本を読んで育ちました。大学で報道を専攻したジエムさんは、ただ好奇心を満たすために、2012年に映画制作コースを受講しました。そして、2016年に2つ目の映画制作コースを受けたあと、独立系ドキュメンタリー映画制作の道に進むことを決めました。
独立系映画は自主制作映画とも呼ばれ、ストーリーや監督の芸術性に重点が置かれます。ジエムさんにとって独立系ドキュメンタリー映画は、自分でテーマを見つけ、自ら資金を調達しなければならないものの、自身の良心に従って自由に制作ができるという、彼女自身の性格と希望に見合うものです。
彼女の初作品は「学校への道」という長さ20分間の短編ドキュメンタリー映画で、夫からエイズに感染し、一人で働き、一人で子供の世話をし、「世紀の病い」と呼ばれるエイズに立ち向かう女性の物語です。初の映画であったものの、人間の愛情を呼び起こす、視覚的にストーリーを共有したり伝えたりする繊細な言葉遣いで高く評価されました。監督と登場人物の間に距離感がなく、登場人物の行動や思考が自然にカメラの前に現れた作品だと好評を得ました。この映画の制作過程を思い出しながら、ハー・レ・ジエムは次のように語りました。
(テープ)
「ある日、取材対象者の家に行ったとき、彼女が私のことをとても心配してくれていることに気づき、エイズ感染について何も怖くなくなりました。そして、彼女の家の近くの谷川を歩いていたところ、水力発電ダムからの水が放出され、膝の上まで水位が上がりました。冬はとても寒くてズボンが濡れてしまいました。彼女は私を気の毒に思い、「着替えのズボンを持ってきてあげるよ」と一度は言いましたが、私がエイズに感染するのではないかと心配して、「いや、もう私のズボンを貸すのはやめましょう」と言い直しました。そして、私が彼女の家で食事をするとき、彼女は別々に座って食事をし、彼女の子どもたちと私は違う食べ物を食べました。つまり、彼女は周りの人たちが彼女からエイズに感染しないようにすることを非常に意識しています」
ドキュメンタリー映画「学校への道」は、2013 年にベトナム映画協会から短編映画部門のシルバー カイト賞を受賞しました。取材対象者との距離感がないことが、ジエムさんの成功の重要な秘訣です。なぜなら、ドキュメンタリー映画制作者にとって、登場人物との関係を築くことが最も難しいことだからです。登場人物の信頼を得た上で、カメラの前で自分の人生を正直に物語ってくれることはドキュメンタリー映画の成功の大部分を決めるでしょう。ジエムさんはそれを自然にやることができました。おそらく、ジエムさんの素朴な誠実さ、澄んだ声、にこやかな笑顔が彼女を取材対象者に近づけたのではないでしょうか。そして2017年、彼女はそういう誠実さと声、笑顔で北部山間部の街サパへ行って、ドキュメンタリー映画「霧の中の子どもたち」の登場人物であるジーさんの家を訪れました。ジエムさんの話です。
(テープ)
「その日、ジーさんのお父さんはサパのバス停に私を迎えに来た後、私を畑に連れて行ってくれました。というのも、ちょうど田植えの時期なので家には誰もいなかったからです。到着すると、みんなと同じように田んぼに降りて田植えをしました。ジーさんのお父さんは、私に対して『あなたもモン族として「生き残る」ことができるね』と語りました。それ以来、彼は私のことを安心して家に泊めたり、ジーさんと一緒に出かけたり、他の人と同じように畑で働いたりすることを許可してくれました」
ドキュメンタリー映画「霧の中の子どもたち」 |
ドキュメンタリー映画「霧の中の子どもたち」は、「嫁さらいの風習」のせいで知らない男性に誘拐されて強制的に結婚させられた少女ジーさんがその風習に抗い、好きな人と結婚し、好きな仕事をはじめた、という物語です。
2年間にわたってこの映画の撮影を通じて、ハー・レ・ジエムさんはジーさんの家族を自分の家族、周囲の人々を隣人と心から考えています。ジーさんの先生や友人たちも親密になりました。ジエムさんの話です。
(テープ)
「撮影中、ジーさんの家で寝起きしました。別の友人の家に撮影に行ったときは、その友人の家で数日間寝てからジーさんの家に戻りました。ジーさんのお母さんは、『とにかく撮影に行って、撮影が終わったら家に帰ってきなさい』と言ってくれました。『家に帰ってきて』という言葉を聞いて、そんな風に声をかけるのは家族だけだと思い、本当に感動しました」
2年間にわたって撮影されたドキュメンタリー映画「霧の中の子どもたち」のストーリーが登場人物ジーさんの成長と合わせて徐々に形になっていました。100 時間を超える最初の撮影は、何度も編集や翻訳などのポストプロダクションを経て、90 分以上の映画にまとめられました。独立系映画であったものの、ジエムさんは多くの人から支援を受けていました。この映画プロジェクトが世界中の映画祭や映画基金からの財政支援を受けられるよう、書類を作成して提出する過程でジエムさんを大いに支援してきた若手映画制作者ヴィ・グエン・アイン・フォンさんは、いつもジエムさんの努力と献身に気づいていたと述べ、次のように語りました。
(テープ)
「この映画制作プロセスでは、ジエムさんはほとんど、自分自身で行いました。私たちは友人や同僚として、映画の内容について意見を交換し、アドバイスしました。映画が行き詰まり、これ以上先に進めないと感じたこともありますが、映画が完成したとき、監督の視点がそれ以上の体験をもたらすとは予想していませんでした。これらは、私たちのような映画制作者にとって、これまで想像したこともなかった体験です。これもジエムさんが体験した苦難に値するものです」
ドキュメンタリー映画「霧の中の子どもたち」は、ハー・レ・ジエムさんの成長をも示しました。この映画により、ジエムさんは世界中の数多くの新天地に足を踏み入れ、映画界の多くの有名アーティストたちと交流し、貴重な教訓を学ぶことができました。