ハノイ便りの時間がやってまいりました。
ホアイ ご機嫌いかがですか皆さん。ホアイです。
アン こんにちは。アンです。4月20日から25日にかけて、南部バクリェウ省で、南部の代表的な民謡を披露する「ドンカタイトゥ」フェスティバルが開催されましたね。
ホアイ そうですね。このフェスティバルは昨年末、ユネスコ国連教育科学文化機関により世界無形文化遺産として認定された南部の代表的な民謡「ドンカタイトゥ」の価値を顕彰するため開催されましたね。
アン そうですね。では、今日のこの時間は社会共同体における「ドンカタイトゥ」の活力についてお話しましょうか。ホアイさん。
ホアイ はい。いいですね。ベトナム語で、ドンは琴、カは歌う、タイトゥは優れた芸術家で、そして、ドンカタイトゥとは琴を弾きながら歌を歌う芸人ですね。
アン そうですね。研究によりますと、ドンカタイトゥは19世紀に生まれました。その経緯は中部にある古都フェの宮廷音楽ニャーニャクと北部からの移民の伝統的音楽の結合によるものですが、現在、これは南部独特の音楽として発展してきました。ユネスコが「ドンカタイトゥ」を世界の無形文化遺産として認定するための申請書を作成したスタッフの一人であるグェン・ティ・ミ・リェン博士は南部の人々はそれぞれ 「ドンカタイトゥ」を歌う時、原本をそのまま歌うのではなく、自分の気持ちをこめて歌い、その歌詞とメロディーをちょっと変える」と明らかにし、次のように語りました。
(テープ)
「南部の人々は特別な才能があります。「ドンカタイトゥ」を歌う時、原本通りに歌うのではなく、その原稿に創造性を加えて歌います。たとえば、100年前に歌われたDa co hoai langという 「ドンカタイトゥ」の有名な歌は今日のように長くではなく、短かったです。また、歌い方も今より簡単でした。その創造性は歌に南部の風習を盛り込みました。」
アン グェン・ティ・ミ・リェン博士の話でした。では、この辺でちょっとティタイムにしましょう。Da co hoai langという 「ドンカタイトゥ」の有名な歌をお聞きください。この歌は戦場に行った夫の帰り日を待ち望む女性の悲しい思いを表しています。
「 」 をお送りしました。
ホアイ 話を続けましょう。今日、南部の人々の誰もが「ドンカタイトゥ」を誇りに思っており、「ドンカタイトゥ」を歌いますね。
アン そうですね。南部の人々にとって、「ドンカタイトゥ」は交響曲の優雅さと創意工夫をしながらも、一般市民の中に広く普及している唯一の音楽ではないでしょうか
次に「ドンカタイトゥ」の幾人かの芸術家の気持ちをお聞きください。
ホアイ 「私はこの「ドンカタイトゥ」が真から好きです。この芸術は私の心の一部となってしまいました」
アン 「ドンカタイトゥ」は私の先祖代々が歌いました。この芸術が好きになると死ぬまで愛し続けることでしょう」
ホアイ 「我が家は3世代にわたり、この「ドンカタイトゥ」を歌っています。誰もが歌えますから、私も「ドンカタイトゥ」の才能を受け継いでいますよ」
アン 1960年代から、チャンバンケ教授、作曲家グェンヒュバさん、ビンバオさんなど「ドンカタイトゥ」を愛好する音楽家の努力により、「ドンカタイトゥ」が世界に紹介されてきました。
ホアイ 長年にわたり、南部メコンデルタに足を運ぶ国内外の観光客は「ドンカタイトゥ」がこの地の文化の欠かせない一部とみなしてきました。外国人の学生にベトナムの伝統的楽器や音楽を紹介してきた南部カントー市大学のレ・ディン・ビック講師は次のように語りました。
(テープ)
「以前に、ベトナムの多くの音楽家は「ドンカタイトゥ」を詳しく研究しましたが、最近、「ドンカタイトゥ」をテーマに、博士号の取得のための論文を発表するのはアメリカ人です。これはアメリカミシガン州のアカデミー所属音楽歴史と民族学課のアレクサンドル・キャノン博士です。これはすばらしいことです」
ホアイ レ・ディン・ビック講師の話でした。「ドンカタイトゥ」がユネスコにより世界無形文化遺産として認定されたことにより、この芸術は南部の21の省や市の独特な芸術だけでなく、世界てきにも知られるようになることでしょうね。
アン そうですね。では、おしまいに歌をお聴き頂き、今日のハノイ便りを終わりにしましょう。
「歌」をお送りしました。
リスナーのみなさん。今日のこの時間は「ドンカタイトゥ」の活力についてご紹介しました。それでは、今日のハノイ便りの時間はここで終わります。来週のこの時間に又お会いしましょう。ごきげんよう。
Chao cac ban。