(VOVWORLD) -100年近くにわたって、ピアノを弾きつづけるアーチストがいます。それは、教授であり人民教師でもある人民芸術家称号を持つタイ・ティ・リエンさんです。
リエンさんは、ベトナム音楽院、現在はベトナム国立音楽院の創設に尽力した7人のアーチストの一人であり、各世代の学生の育成の功労者です。
リエンさんがピアノを弾き始めたのは4歳の時でした。あれから100年近くにわたって、ピアノと伴に歩むリエンさんは100歳になった今なお、弾き続けています。
南部サイゴンにある有名な知識階層の家に生まれ、プロの演奏家になりたかったリエンさんは、一生を音楽に捧げたようです。16歳で、初公演を行いました。1945年には、フランスに留学しました。その後、チェコのプラハに移住し、プラハ音楽院の大学卒業証明書を授与された最初のベトナム人です。1951年に、ベトナムに帰国して、フランス植民地主義者との抗戦に参加しました。1956年に、リエンさんは、他の7人の作曲家と共に、ベトナム音楽学校、現在のベトナム国立音楽院を創設し、1977年までにピアノ学部の担当者を務めました。ベトナム国立音楽院院長の話です。
(テープ)
「誕生したばかりのベトナム音楽院はゼロからのスタートでした。チェコで音楽を卒業したリエンさんは自分でピアノの教材を作成しました。この教材は、ベトナム初のものとなっています。」
リエンさんの話によりますと、戦争中に、音楽院の教師と学生たちは、疎開しなければなりませんでした。その時に、ピアノを弾き教えながら、敵軍の戦闘機による襲撃を見極めなければなりませんでした。そんな困窮でかつ危険な状態に陥っても、リエンさんは、ピアノを弾くことを一度も止めませんでした。疎開先で、月光の下でリエンが弾いたピアノの音色は、学生たちを音楽好きに導きました。リエンさんの長女の話です。
(テープ)
「疎開生活を送り、生死の境界線にあったのに、ショパンやベートーヴェンなどのピアノ協奏曲が依然として響いたのです。その時に、敵軍の戦闘機を避けるため、私たちは主に、ピアノは夜勉強しました。」
さらに、リエンさんは、国内でも外国でも有名な2人のピアニストの母親であり、教師です。それは、人民芸術家のチャン・トウ・ハーと同じく人民芸術家のダン・タイ・ソンです。ダン・タイ・ソン氏は1980年にポーランドで行われたショパン国際ピアノ・コンクールで優勝しましたが、アジア人として初めてのことです。また、チャン・トウ・ハーさんはベトナム国立音楽学院の院長を歴任しました。
リエンさんは各世代の学生の育成に熱意を注ぐだけではなく、音楽演奏に感情を込めています。それは、ベトナム音楽院として初のピアノソロ演奏において、彼女は、ショパンの作品だけを演奏しました。特に、90歳を超えてなお、彼女は、音楽院の大規模なイベントで演奏しました。
リエンさんは「私は幸せな母親である。というのは、音楽分野で大活躍している子供がいるから。また、幸せな教師でもある。なぜなら、著名なアーチストになる各世代の学生を育成したから」と言いました。特に、子供には、常に厳しく教えたということです。
(テープ)
「当時、息子のソン君はピアノに興味を持っていたので、彼に教えました。音楽院の教材の傍ら、最も難しいピアノ曲を教えました。ソン君は何回もピアノコンクールに参加し、他の教師からは好評を得ましたが、私はあまり息子を褒めませんでした。」
その話の中で、リエンさんは、自分の家庭はベトナムの音楽界に大きく貢献したこと、世界的に著名なピアニストとして知られている息子であるダン・タイ・ソン人民芸術家が国の名誉に寄与してきたことを誇りにしているようです。