(VOVWORLD) -ハノイ市タンスアン区の身体障がい者協会の会長グエン・トゥイ・ガン会長は、長年にわたって、身体の不自由な人々の為の諸活動に参加した経験があり、身体の不自由な人々の社会復帰に繋がる様々な活動を行ってきました。
ガンさん(左) |
6月のある日に、ガンさんは、身体障がい者協会会員らと共に、身体の不自由な子どものためにプレゼントを準備しています。ガンさんは、人々から「熱心、慎重、用意周到、また、他人に対してよく気配りできる人」と評価されています。
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「彼女は、些細なことに対しても気を配っています。例えば、3月8日の国際女性デーには、身体の不自由な女性に向けたのイベント周到に行いました。あるいは、6月1日の国際子どもの日には、身体の不自由な子ども、または、身体の不自由な人々の子どもにプレゼントなどを行ったということです。」
1985年に、北部イエンバイ省に住んでいる時、ガンさんは、現地の傷病兵の困難な生活を目撃したきっかけで、これらの傷病兵を助ける為に、傷病兵クラブの設立を提唱しました。当時、文学の教師でありながら、クラブの会長を務めるガンさんは、あらゆる方法で傷病兵を支援してきました。彼女にとって、傷病兵の生活がよくなる事を目撃することはもっとも喜ばしいことのようです。ですから、彼女は、傷病兵や身体の不自由な人のいる家庭の困難さについて深く理解しています。
ガンさんは次のように語りました。
(テープ)
「いまだ多くの傷病兵の家庭は生活上の困難に直面しています。ですから、私は、これらの恵まれない人々を助けたいと思いました。彼らが生活上の困難を乗り越える為に、少なくとも精神的にも物質的にも彼らを支えたいのです。」
ガンさんは、2006年に、定年退職してからも、引き続き社会活動に参加しました。彼女は、ハノイ市の身体の不自由な人々への文盲一掃運動における大きな功労があったひとであると見なされました。タンスアン区だけでは、彼女は、識字クラスを開き、それぞれの身体の不自由な人にこのクラスへの参加を働き掛けました。
ガンさんはさらに次のように語りました。
(テープ)
「身体の不自由な人々に対し容易に識字を教育する為には、彼らの心理を深く理解しなければなりません。高校学校の教師であった私自身さえも、身体の不自由な子どもへの教育は全く簡単なことではありません。これらの子どもたちが、識字クラスを途中でやめないように、私は、様々な工夫を凝らしましたよ。」
その一方で、ガンさんは、タンスアン区職業教育センターに、毎年、20人~30人の身体の不自由な人々の職業教育を受け入れるよう働きかけています。ガンさんについて、タンスアン区の身体の不自由な子どもを持つ父母クラブ担当者は次のように明らかにしました。
(テープ)
「ガンさんは、常に身体の不自由な子どもに配慮しています。特別に困難な状態の子どもの家庭を訪れて、精神的・物質的にも支援を行い、身体の不自由な子どもを持つ父母クラブのメンバーである私たちはとても感激しています。また、彼女は、毎年、山岳地帯に住む生活上困難な状態にある身体の不自由な人々へのチャリティ活動を行いますよ。」
身体の不自由な人々が自信を持って、社会に復帰できるために、全力尽くしてきたガンさんのようなお手本はさらに拡大されるように期待しましょう。