中部クアンチ省ゾーリン県ビンチュオン村にはチュオンソン共同墓地があります。この墓地にはホーチミンルートで犠牲になったベトナム人民軍の幹部、兵士が永眠しています。毎年、7月になると、この共同墓地を訪れる人々が増えています。
チュオンソン共同墓地の設計と建設に参加したことがあるチュオンソン部隊の元司令官であるルオン・シ・ヌン少将によりますと、1973年始め、パリ協定の締結後、チュオンソン部隊の指揮者であるドン・シ・グェン中将はチュオンソン・ルートで犠牲になった幹部や兵士の遺骨を埋葬するため、共同墓地を建設することを決定しました。これにより、この共同墓地は1975年10月24日に起工、1977年4月10日に完成しました。ルオン・シ・ヌン( Luong Si Nhung) 少将は次のように語りました。
(テープ)
「抗米救国闘争で犠牲になった兵士や幹部はおよそ33000人と集計されましたが、実際に遺骨が発見され、墓に入ったたものはおよそ13000基だけでした。墓地は地方毎に分かれて安置されています。この共同墓地が低い丘に置かれ、すぐ前には大きな湖があり、立地条件はよいです。」
チュオンソン共同墓地に安置されている犠牲者らは6000日にわたって行われたチュオンソンルートの道路建設や改修で犠牲になった人民軍の幹部、兵士や青年突撃隊の隊員らです。総面積14万平方メートルのこの共同墓地は10区画の中心地区に分けられています。その中の中心に白い大理石で作られた記念塔があり、32メートルの丘に置かれています。また、この共同墓地には大洪鐘があります。先ほどのルオン・シ・ヌン( Luong Si Nhung) 少将はさらに次のように語りました。
(テープ)
「チュオンソン共同墓地は特別な墓地です。この共同墓地の設計、建設から管理、運営まですべてはチュオンソン部隊の幹部や兵士が担当しています。この墓地に安置されている遺骨はチュオンソンの幹部、兵士が自分たちで収集したものです。私たちはチュオンソン山脈とラオスの戦場などで、今なお、遺骨の収集を続けています」
毎年、チュオンソン共同墓地にお参りする人々の数は延べ400万人です。これらの人々の中には最南端にあるカーマウ省から最北端のハーザン省からの人々もいます。チュオンソン部隊の復員軍人であるグェン・ザ・カムさんは「この20年、毎年、このチュオンソン共同墓地に行き、ここに永眠している戦没者に線香を手向けている」と明らかにし、次のように語りました。
(テープ)
「私は自分の若い歳月を戦場で過ごしましたので、この共同墓地に戻る度に感激しています。クアンチ省に着いた時、始めて行うことはこの共同墓地に行って、線香を手向けることです。私たちはここに永眠している幹部や兵士に対して、「安心して永眠してください。私たちはかつてのチュオンソン部隊の輝かしい伝統を継承するため頑張っている」と言いました」
チュオンソン共同墓地を訪れると、民族の独立のために対するベトナム民族の決意だけでなく、「水を飲む時、その井戸を掘った人の恩を思う」というベトナム美意識を理解できることでしょう。