ニャチャンのイェルサン博物館

(VOVWORLD) -イェルサンはベトナム中部カインホア省を第2の故郷とみなしていました。現在、ベトナムではイェルサンの名が冠した研究所や図書館があります。

アレクサンドル・イェルサン( 1863-1943)はスイスに生まれたフランス人の医師であり、細菌学者、冒険者でもあります。イェルサンの人生はベトナムに密接に結びついていました。イェルサンはベトナム中部カインホア省を第2の故郷とみなしていました。

ニャチャンのイェルサン博物館 - ảnh 1

現在、ベトナムではイェルサンの名が冠した研究所や図書館があります。その中で、中部カインホア省ニャチャン市チャンフー通り4番地ににあるパスツール研究所の敷地内にあるイェルサン博物館があります。この博物館が国の遺跡として認定されました。

イェルサン博物館の面積は100平方メートルで、その中で、生前、イェルサンが読んだ小説やイェルサンが書いた手紙など多くの品々が展示されています。

これらの品々を見ると見物人はイェルサンの人生やニャチャン市と地元の住民に対するイェルサンの気持ちを理解することができます。1891年、新しい土地を探検していた時、ニャチャンに行ったイェルサンはこの地の美しさが気に入り、そこに住むことにしました。

当時、イェルサンはニャチャン市に医師として仕事をしていたヨーロッパの最初の人でした。地元の人々はイェルサンをトゥ( Tu) さんというベトナム語の名前を付けました。

イェルサン博物館に展示されている品々を見ると、生前、イェルサンは地元の人々と親しい関係があり、周辺にある小さい漁村に住む貧しい漁民を無料で診断、治療を行ったということが分かりました。特に、イェルサンは地元にある子どもたちに特別な愛情を持ちました。当時の子供の一人であるカク・ザオさんは次のように語りました。

(テープ)

「トゥさんは週2回、水曜日と土曜日の夕方、映画を上映しました。当時、私達は動物に関する映画やチャーリー・チャップリンの映画などを見ることが大好きです。トゥさんは貧しい漁民に世界の新しい文化や文明を紹介しました」

ニャチャンで、イェルサンは質素な生活を送りましたが、医学、微生物学、地理学、天文学、芸術などで偉大な業績を残しています。イェルサンはペストを一掃した他、ベトナム中部高原地帯ティグェン地方にあるラムドン省のラムビェン高原を初めて探検しました。

1899年、イェルサンが見つけた土地で、当時、ベトナムを支配したフランス領インドシナのポール・ドゥメール総督はヨーロッパ人向けの保養地を建設しました。この保養地は後にベトナムの有名な避暑地であるダラットになりました。

また、イェルサンはゴムの木をベトナムに持ってきた最初の人です。そして、1902年、インドシナのポール・ドゥメール総督はイェルサンを現在のハノイ医科大学の前身であるインドシナ医科大学の初代学長を任命させました。

イェルサンのアドバイスにより、インドシナにおけるフランス植民地主義者は地図局、地質局、気象局、天文台、海洋研究所などを設立しました。これらの機関がベトナムで設立されたのは初めてす。

現在、イェルサン博物館で、ニャチャンにおける海洋研究所の設立に関するイェルサンの署名が残されています。イェルサン博物館の責任者であるグェン・ホアン・ドアン・トゥクさんは次のように語りました。

(テープ)

「ニャチャンにおける海洋研究所の設立に関しては、現在、この博物館で、当時、イェルサンが天文地図とニャチャンを襲った台風を記録する記しが保存されています。イェルサンは1909年から1942年に発生した台風を記録しました。その他、ここには潮の観察結果の記録書があります。」

ニャチャンのイェルサン博物館 - ảnh 2

イェルサンはベトナムに多くの証跡を残しています。現在、ニャチャン市にはイェルサン博物館の他、イェルサンの名が付けられた公園があり、そこには高さ4メートルのイェルサンの像があります。これはニャチャン市の観光スポットの一つとなりました。

また、イェルサンのお墓はニャチャン市から20キロ離れたところにあります。ここで地元の人々はイェルサンを祀る社を建設しました。

イェルサン博物館とイェルサンのお墓は国の遺跡として認定されました。外国人に関連する遺跡がベトナム政府により、国の遺跡として認定されたのはこれは唯一の場所です。


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