ミーソン遺跡群を行く

中部クアンナム省ズイスェン県ズイフー村に位置するミーソン遺跡はダナン市の南西約70キロメートルのところにあります。ダナン市に足を運ぶ観光客はバイクを借りて、または、バスに乗って、1時間ほど走るとミーソン遺跡に着きます。

現場の音

ミーソン遺跡はチャンパ王国の聖地です。チャンパ王国は2世紀から17世紀にかけて、ベトナム中部沿海地方で興亡した海洋交易国家です。その間にミーソンをはじめ、クアンナム、ビンディンなど、いくつもの宗教遺跡が設けられました。ミーソン遺跡の神はヒンズー教の流れで、男性器のリンガと女性器のヨニを象徴する石が至るところにあります。3平方kmに点在する遺跡群は、王国の栄華や文化を伝え、東南アジアの歴史を知る貴重な資料として1999年、世界文化遺産に登録されました。ホーチミン市からの観光客の一人であるディンさんは次のように語りました。

(テープ)

「これは世界文化遺産ですから、一度訪れてみたいと思っていました。ここにきて、チャム族の文化をさらに理解できるようになりました」

ディンさんはこのように語りました。


ミーソン遺跡群を行く - ảnh 1

高さ5mから十数mの祠堂には、漆喰などの接着剤を使った形跡が見られず、また、屋根は煉瓦を少しずつずらして強度を保つ工夫がされており、当時の技術力の高さを示しています。これはチャンパ建築様式の特徴と言っても過言ではありません。ホーチミン市からの観光客チャン・ティ・ズー・ホアイさんは次のような感想を明らかにしました。

(テープ)

「この遺跡群の建築は素晴らしいです。セメントや漆喰(しっくい)などの接着剤を使用せず、長い年月を経ても、昔のままの姿が保たれています」

ホアイさんの話でした。

ミーソン遺跡群を行く - ảnh 2

 

かつては70もの祠堂があったそうですが、戦争中、アメリカ軍の激しい爆撃を受け、初期の木造建築はほとんど焼失(しょうしつ)しました。赤煉瓦造りの祠堂も甚大な被害を受けました。しかし、残されている遺跡だけも観光客の心をとらえています。スペイン人の観光客一人は次のように語りました。

(テープ)

「私は首都ハノイ、故都フェ、ハロン湾、ホイアン旧市街、そして、ミーソン遺跡を訪れました。それぞれの地方は独自の美しさがあります。ミーソン遺跡を訪れ、ここでの祠堂が戦争により大きな被害を受けたことを目にし、とても悲しんでいます。ここで見たのは私たちの文化とまったく違います。」

スペイン人の観光客の話でした。

遺跡群は専門家によって、グループ分けされていますが、グループAは、アメリカ軍の爆撃に(さら)され、痛みの激しい遺跡です。かつてはチャンパの大塔と呼ばれる28mの祠堂がありましたが、いまは瓦礫(がれき)が横たわっているだけです。ミーソン遺跡管理委員会のフィン・タン・ラップ副委員長は次のように語りました。

(テープ)

「これはミーソン遺跡にある最も見事な祠堂の一つです。これはチャム族の素晴らしい建築と彫刻芸術を示しています。しかし、戦争で完全に破壊され、現在、瓦礫だけが残っています。1980年、ポーランド人の建築家が修復に着手しました。ここでの気候条件は厳しいですので、この遺跡は毎年天候の悪影響を受けています。しかし、この遺跡に足を運ぶ観光客は年を追って増加しています」ラップ副委員長はこのように語りました。

現在、ベトナム中部を訪れる観光客にとって、ミーソン遺跡は見逃すことができない見所となっています。ミーソン遺跡群を訪れる観光客は毎日、5百人から7百人にのぼっており、週末には2倍になります。ここでの観光サービスも時と共に改善されつつあります。

 

 

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