ベトナム中部のクァンチ省に集中的に住む少数民族ヴァンキェウ族はみんな、ホーという名字を持っていることで知られています。かつての民族解放事業に積極的に参加したこの民族はホーチミン主席を敬愛し、その名字に改名することにしたからです。現在も、ヴァンキェウ族の人々は日常生活でホーチミン主席の道徳を見習いながら、より豊かな生活を目指しています。
ヴァンキェウ族の人々は誰もが1946年の夏のことを今も覚えています。当時、フランス植民地主義者の侵略のせいで政府機関はハノイから北部山岳地帯のベトバク地区に避難しました。戦時中においても、ホーチミン主席は、遥かなところにあるクァンチ省へ訪問団を派遣し、ヴァンキェウ族の人々を見舞いました。ヴァンキェウ族に食糧を提供したり、お年寄りに衣服をプレゼントしたりするなど様々な支援をしてくれました。
こうした支援を受けて感動したヴァンキェウ族の人々は特別な儀式を催し、永遠に革命事業とホーチミン主席に従うことを誓ったのです。また、ホーチミン主席の名字「ホー」をこの民族の全員の名字にすることにしました。
発展しているラオバオ町(写真:laodong.com.vn)
戦争が終わって平和が戻った後、ヴァンキェウ族の人々はベトナム全国の54の民族と一緒に国の再建に努力してきました。昔から焼畑移動耕作を営んでいたヴァンキェウ族は、毎年のように収穫前の食糧不足に陥るほど非常に大変な生活を送っていました。しかし、国の支援によって、生活が定住化し、大規模で農園や畜産場を営めるようになりました。
クァンチ省ラオバオ町カタン村の村長ホー・タイン・ビンさんは、ホーチミン主席の教えに従って新しい農業や畜産をやってから、貧困は昔の話になっていると述べ、次のように語りました。
(テープ)
「ホーチミン主席の道徳を見習うのは例年のように5月に始まります。ホーチミン主席は、努力を重ねて困難を克服しない限り、貧困から抜け出せないとおっしゃったんです。私たちは、国の指導に従って稲作やバナナの栽培をしてから、結果として昔の小屋から現在はみな、しっかり建てられた家を持っています。だから、ホーチミン主席の道徳を見習うための集会には村人が大勢参加しています。」
収穫を楽しんでいるヴァンキェウ族の子供(写真:dantri.com.vn)
ラオバオ町に住むヴァンキェウ族の人々は貧困から抜け出す決意を持ってお互いに助け合っています。ラオバオ町婦人協会のグェン・ティ・トゥ・ヒェンさんは、この町の女性たちは経験交流会をよく行い、収入を増やす新しいモデルとやり方について話し合うと述べ、次のように語りました。
(テープ)
「私たちは、交流会などで新しいモデルについて具体的に話し合った上で、それぞれの村の状況に沿って柔軟に展開します。家庭の生計を改善するモデルのほか、子育てや幸せな家族づくりを目指すやり方も話し合います。現在、安全な野菜の栽培やコーヒーの栽培と畜産との結合など多くのモデルが効果的に展開されています。」
現在、ラオバオ町では、年間数千万ベトナムドンの収入を稼ぐ人が少なくありません。その中で、ホー・タイン・ビンさんは2億もの稼ぎで知られています。ビンさんの話です。
(テープ)
「やり方が違えば、効果がありません。私のやり方を学んで収入を増やした人は多いです。同じ1ヘクタールですが、稲作であれば、収入はわずかですが、バナナを栽培すれば、年間7千億ベトナムドンが稼げます。そして、タピオカなどを植えれば、さらに収入が増えます。」
このように語ったビンさんは、ヴァンキェウ族の人々はホーチミン主席の名字を持っていることを誇りに思っており、これからもホーチミン主席の教えに従って故郷を豊かにする決意であると明らかにしました。