中部クアンチ省のベンハイ川に架かるヒエンルォン橋の両岸にある歴史遺跡群は国家特別遺跡になっています。
北緯17度線に沿って流れるベンハイ川は、1954年のジュネーブ協定でベトナム南北を一時的に分割する軍事境界線と規定され、全長178メートルに及ぶヒエンルォン橋は南北分断のシンボルとなっています。
この地域は当時南北の各軍が激戦をくり広げた地域であり、今も当時の爪痕が残っています。戦争中、軍事境界線一帯は、北ベトナム軍と南ベトナム軍・アメリカ軍の双方にとって、重要な戦場となっていました。しかし、現在では、観光地として観光客などが誰でも訪れることができます。
平和になった現在、全国各地はそろって、文明かつ豊かなクアンチ省の建設に力を注いでいます。2005年4月30日の南部完全解放・国家統一30周年を記念した際に、「国家の統一」という催しがヒエンルォン橋両岸の歴史遺跡群で初めて開催されました。それ以来、毎年、この催しがこの辺で行なわれています。今年の催しは4月28日から30日にかけて開かれました。
クアンチ省人民委員会のグェン・ドク・チン委員長は次のように語りました。
(テープ)
「1975年以降、ヒエンルォン橋は国家の統一に繋ぐ橋として呼ばされてきました。南北を結び付けるこの橋のために、20年余りの歳月と数多くの同胞の犠牲がありました。ですから、当時の記憶を振り返る意味で、ヒエンルォン橋でこの催しを開催する事にしました。」
今年の催しの始まりは、南側に離散した家族が北の家族と再会することで再現されました。参加者らは南部最南端カーマウ省と北部ランソン省の住民らでした。彼らは、ヒエンルォン橋へ足を一度も運んだ事がありません。これらの人々は2つのグループに分かれて、それぞれの家族が川の両岸から橋の真ん中に走ってゆき、出会いました。再会の光景はとても感動的でした。続いて、ヒエンルオン国旗掲揚台で96平方メートルのベトナム国旗の掲揚式が行われました。
ヒエンルオン橋の保護作戦に参戦していたグェン・ミン・チャウさんは「ヒエンルオン国旗掲揚台に掲揚された国旗はベトナム民族の誇りでありながら、「独立と自由ほど尊いものはない」という意志のシンポルでもある」と明らかにし、次のように語っています。
(テープ)
「戦争中、ヒエンルオン国旗掲揚台は11回も破壊されましたが、旗がはためかない日は全くありませんでした。というのは、当時、どんな柱でさえも旗を掲揚台として使わされていたからです。それは決戦と決勝に向けた民族の意志です。公安は国旗の掲揚と保護を担当しますが、国民の信頼がなければ、何も出来ませんでした。旗は南部住民の信頼の表れでした。」
「国家の統一」という催しのメインは去る4月29日に開かれた「統一の歌」と題した文芸交流でした。これについて、クアンチ省文化スポーツ観光局のグェン・フュウ・タン局長は次のように語っています。
(テープ)
「ヒエンルオン橋は南北を分割する境界線であり、南北を結びつける地点であると同時に、ベンハイ川両岸の統一を立証する地点でした。ですから、革命的歌曲や踊りを通して、国家の統一と言う全国民の渇望を示したいのです。全国は南部の為、全国はと統一の為、分割の苦痛、戦争の激しい困難を乗り越えて、独立と自由を勝ち取りました。」
現在、ヒエンルオン橋の両岸で開催された催しは参観者らに抗米救国闘争の勝利、及び民族の大団結を深く理解してもらいたいのです。