(VOVWORLD) -ベトナムの伝統民謡カーチューは2009年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。ハノイに隣接している北部フンイエン省はカーチューの発祥地の一つとなっています。
ベトナム語で、カー は歌、チューは札という意味です。歌に対するご褒美というか、聴いていた人から竹でできた札をもらって、その札に書いてある金額を受け取ったことから、カーチューと呼ばれるようになりました。
カーチューの歌詞の内容のほとんどが、祖先や神を称えるものです。15世紀から19世紀の間、カーチューは村の集会所や資産家の家、宮廷などで特別な日に上演されました。その後は、村の祭りや結婚式、長寿を祝う席などでも行われるようになって、庶民にも広まりました。カーチューは北部のフート省から中部のクアンビン省まで、15の省や市と広い範囲に普及されています。
フンイエン省で、カーチューが消滅寸前に追い込まれた時期もありましたが、地元の当局と住民はこの芸能の復活に様々な措置をとっています。
カーチューの先祖を奉る神社(写真:baohungyen.vn) |
これはフンイエン省ダオダン村の集会所で、同村のカーチュークラブのメンバーがカーチューの歌の練習をしている音声です。同村のカーチューの熟練した歌い手ドゥ・テイ・タイン・ニャンさんは次のように語りました。
(テープ)
「ダオダン村はカーチューの発祥地です。伝説によりますと、昔、この村出身のカーチューの歌い手が自分の歌声で、北方からの侵略者を打ち破りました。その女性英雄の子孫である私たちは故郷の貴重な芸能を維持、保存しなければなりません」
フンイエン省でカーチューが盛んに発展してきた時期もありました。現在、ダオダン村の多くの高齢者はその素晴らしい時期を振り返っています。ダオダン村のカーチューの歌い手の一人であるダオテイタインさんは「当時、村の人ならば、だれもがカーチューを歌うことができる。夜になると、村人が集会所に集まって、カーチューを歌い合った。村のカーチューの歌い手がホン川デルタで有名になっていたということである」と明らかにし、次のように語りました。
(テープ)
「当時、私たちは村の堤防に出て歌垣をしました。夜から朝まで歌ったこともありました」
ダオダン村のカーチューの歌い手はフンイエン省で歌っただけでなく、各地方に行って上演しました。しかし、歳月と共に、昔の歌い手が亡くなる一方、現代社会において、カーチューを聴く人々も少なくなってきたので、ダオダン村はカーチューは徐々に忘れ去られる存在です。
フンエイン省のあるカーチュークラブ(写真:hungyentintuc.vn) |
2009年、カーチューがユネスコにより、無形文化遺産として認定されたことをきっかけに、ダオダン村の人々はカーチューを復活させる決意を固めるようになりました。この村の人々は昼間に田畑で仕事をしていますが、夜になるとカーチューの練習を熱心に参加しています。
地元の人々の努力により、現在、フンイエン省では3つのカーチュー・クラブが結成され、そのメンバーは100人にのぼっています。フンイエン省ビンクック村のカーチューの歌い手チャン・ティ・ドゥさんは次のように語りました。
(テープ)
「子供たちに対し、無料でカーチューの歌い方を教えています。そして、教室に行くため、10キロも歩かなければなりません。しかし、カーチューを次の世代に伝えるため頑張ります。
カーチューの維持、保存には地元の人々の努力の他、地方当局の支援を抜きに語ることはできません。現在、フンイエン省はカーチューの維持、保存プログラムを展開しています。これにより、同省の文化イベントや祭りでカーチューがよく上演されています。
また、同省のカーチュークラブは観光客によく上演しています。現在、カーチューはフンエイン省で行われている行事で欠かせないものとなっています。これらの努力により、フンエイン省のカーチューが維持、保存するだけでなく、幅広く普及されることでしょう。
以上、フンイエン省のカーチューの維持、保存についてお伝えしました。では、今日のこの時間はこのへんで失礼します。