(VOVWORLD) -毎年7月27日は「ベトナムの傷病軍人・戦没者の日」となっていることから、国の独立のために命を犠牲にした軍人や戦没者を敬い、感謝の気持ちを表す日とされています。この月間に、傷病軍人や戦没者の恩を偲ぶ記念式典が行われる他、傷病軍人や戦没者の遺族に記念の品が贈られたり、奨学金が支給されるなど、様々な活動も実施されています。
ベトナムの労働・傷病軍人・社会事業省によりますと、戦没者の数は114万人にのぼっています。そして、戦争のためにケガや病気を抱えた軍人の数はおよそ50万人です。ベトナム戦争中、クアンチ省は最も多くの爆撃を受けた激戦地でした。というのは、戦争中、南北を分断する軍事境界線であったクアンチ省を流れるベンハイ川がある一方、北部から南部に武器や兵士を運ぶためのホーチミンルートという補給路の途中にあったからです。
アメリカ軍はクアンチ省を始め、ホーチミンルートに4千百万トンもの爆弾と数百リットルの枯葉剤を投下しました。ホーチミンルートが開設された1959年から南部が完全に解放された1975年までの16年間、この輸送ルートを守るために、2万人あまりが犠牲になりました。
チュオンソン戦没者墓地 |
戦争犠牲者の遺骨は、全国の墓地に安置されています。クアンチ省には国内で最大の国家墓地2か所あります。それは、チュオンソン戦没者墓地とドウオンチン戦没者墓地です。
チュオンソン戦没者墓地は、総面積14万平方メートルで、10333人の烈士の遺骨がある場所です。一方、ドウオンチン戦没者墓地は9500人の烈士の遺骨が安置されている所です。
北部タイグエン省に住むレ・ティ・トオムさんは、7月になると、ドウオンチン戦没者墓地にある父の墓に線香を手向けに行きます。お父さんが亡くなった時に、彼女は、生後6カ月未満だったので、お父さんの顔は遺影写真でしか知りませんでした。
トオムさんの話です。
(テープ)
「父と会ったことはないけれども、父が亡くなったことを初めて聞いた時に、とても寂しくて、沢山泣きました。現在、父の遺骨は、こんなにも大きな墓地に安置されていることで安心しています。父の遺骨を故郷に移すつもりはありません。」
民族の独立・自由の為に、身を捧げた英雄烈士たちは、多くが若者でした。多くの英雄烈士の名前は、全国各地にある町や、居住地、学校の名前に付けられたり、歴史の本などに盛り込まれています。しかし、今なお、数千ものに上る無名烈士の墓があります。毎年、チュオンソン戦没者墓地とドウオンチン戦没者墓地の管理委員会は、犠牲になった親戚の遺骨を探しに来る沢山の遺族を迎えています。
チュオンソン戦没者墓地管理委員会のホアン・チ委員長は次のように語りました。
(テープ)
「現在、身元が分からない烈士の遺骨から遺伝子データを採取した『無縁戦没者DNAバンク』が設立されました。これは、合理的ではありますが、少し遅れです。というのは、多くの烈士が未婚の人たちであり、親戚は父母だけです。しかし、現在、烈士の両親はもうお年寄りになっているので、無名烈士の遺骨と遺族の遺伝子の採取をするには遅すぎて、DNAを鑑定しにくくなります。ですから、無名烈士の遺伝子データの採取を促す必要があります。」
関連各機関の努力により、身元不明の英雄烈士が早々に身元が確定されるよう期待しましょう。それは、革命功労者の恩に報いることに貢献することになります。