忘れられない記憶

(VOVWORLD) - 幾人かにとって、2021年に発生した新型コロナの第4波は津波が押し寄せたようで、長年にわたり蓄えてきたものを奪い取られました。彼らは困難な状態に陥っています。しかし、彼らは明るい未来を祈念し、困難の克服に取り組んでいます。
忘れられない記憶 - ảnh 1隔離施設で働いている医療関係者

ハノイ郊外ドンアイン県の変電所で働いているグエン・ティ・トアさんは新型コロナの第4波の発生で、「労・食・住」を職場に集約させる「工場隔離」の操業継続規制に基づき、職場で隔離されていた日々をよく覚えています。彼女は「子どもがいなくて寂しかった」と話しました。

一方、医療看護師として働くシングルマザーのグエン・ラン・フゥオンさんは感染者のケアを支援するため、同僚とともに、感染ホットスポットに赴かざるを得ませんでした。4歳の女の子の面倒を親戚に頼みました。任務遂行を終えて、家族の元へ戻る前、新型コロナ感染が確認されました。フゥオンさんの話です。

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「完治した後も、自分が看護師なので、ボランティアとして隔離施設で働くことにしました。医療関係者の仕事は大変です。出張する時、子どもの面倒を親戚に頼まざるを得ません。子どもが可哀想です。」

他方、20年あまりにわたり、ホーチミン市のある革靴企業で働くタイン・ランさんは新型コロナにより、企業の解散が余儀なくされたことを知り、ショックを受けました。

(テープ)

「去る4月中旬から仕事が少なくなり、スプリットシフト制で働きました。その後、一時帰休の恐れがある情報を受け、労働者誰もが寂しくて、心配しました。」

一年前にアメリカに留学しているベトナム人学生タイン・ハンさんは4ヶ月にわたりデンマークへの交換留学プログラム参加に招かれました。ただ、新型コロナのせいで、彼女の計画が変更になりました。

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「3月のある日の深夜に交換留学プログラムからEメールが届きました。その中に2日以内に、デンマーク国境が封鎖されることから、全ての留学生に対し、荷物を預けて、できるだけ早く帰国するよう求めました。2日間にわたり、荷物を預けた後、コペンハーゲン空港に到着しました。わずか2ヶ月前、この空港に着いて、新しい学習プログラムを楽しみにしていましたが、今、ここで私のプログラムが突然終了しました。」

ハンさんはハノイのノイバイ空港に着陸した時、強く心を打たれました。彼女は帰国後、集中隔離施設に入った期間にボランティアとしての活動に積極的に参加してきました。ハンさんの話です。

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「集中隔離施設に暮らして、新型コロナ対応に苦しんでいた時、多くの知識を身につけ、周りの人々への理解を深めることができました。隔離施設で会った人々は知らない人たちですが、互いに温かい心で接し、親戚のように互いに助け合っていました。ありがたいです。ベトナム人でよかったと思います。」

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