『大勝利の喜びの日にホーおじさんがいるようだ』ベトナム人の心に刻まれた歌
ベトナム戦争といわれるベトナムの抗米救国闘争中に、民族の革命事業をテーマとした歌がたくさん生まれましたが、数ある中で、ファム・トゥエンが作曲した「大勝利の喜びの日にホーおじさんがいるようだ」という歌が一番普及した歌の一つと言われています。
ホーチミン主席
「大勝利の喜びの日にホーおじさんがいるようだ」という歌が初めて公開されたのは1975年4月30日の午後でベトナムの声放送局でした。「サイゴンが解放された」というニュースと一緒に放送した時です。
その後、音楽会や交流会などで数えきれないほどこの歌を歌ってきたベトナムの有名な歌手チュ・トゥイ・クィンさんは、この歌は当時のベトナム人の心と希望を忠実に反映していたと述べ、次のように語りました。(テープ)
「大勝利の喜びの日にホーおじさんがいるようだ」という歌の歌詞とメロディーは、ベトナム人はもちろん、世界の友達だれもがその歌を聞くと、互いに手を繋いで歌いたいという気持ちになりました。
その歌を歌ったり、聞いたりするだけで、私たちのホーチミン主席、愛称で呼ぶホーおじさんがまだ生きている。まだ私たちのそばにいる。私たちと一緒に勝利の喜びを分かち合うような感じがします。」
作曲家ファム・トゥエンさんは1975年4月28日にサイゴンのタンソンニャット国際空港が爆撃されたことをラジオで聞くと、最後の勝利を予感し、夜9時半から11時半までのわずか2時間でこの曲を書き上げました。
ファム・トゥエンさんによりますと、その時、「南北の団らんは最高の喜び」というホーチミン主席の言葉を思い出し、この歌を作曲したとファム・トゥエンさんは話しています。(テープ)
「4月30日の正午、ベトナムの声放送局の幹部から電話がありました。「今日の11時半ごろ、サイゴンの大統領府に我々の旗が揚げられる。南部が解放され、国の統一ができた。すぐ会社に行ってどんな音楽を放送するのか相談してください。」という内容の電話でした。
会社に着いて、編集長と階段の途中で会いました。編集長が何かいい作品あるか?と聞くので、私は階段に立ったまま、「大勝利の喜びの日にホーおじさんがいるようだ」を歌いました。編集長はこの歌だけでいいと言ってくれました。
放送局の音楽団はその日の午後この歌を練習し、午後5時に南部解放のニュースとともにこの歌を全世界に届けました。」
ファム・トゥエン作曲家(写真;ngaynay.vn)
「大勝利の喜びの日にホーおじさんがいるようだ」の歌は老若男女を問わず、みんなが好きになってすぐ歌いました。親しみやすいメロディーと覚えやすい言葉を持つこの歌はベトナムだけでなく、世界の友達にもよく歌われました。
ベトナムの声放送局の元会長チャン・マイ・ハインさんはこの思い出を次のように語りました。(テープ)
「ファム・トゥエンさんの歌は、4月30日の勝利に関する私のレポートと一緒にその日の午後の放送で流されました。1975年5月1日付の新聞「ニャンザン」も私のレポートとファム・トゥエンさんの歌を掲載しました。
私は解放された直後のサイゴンの雰囲気を取材したとき、私のレポートとその歌をラジオで聞き涙を流しました。私とファム・トゥエンさんは当時知らなかったのですが、私のレポートとファム・トゥエンさんの歌が一緒に放送されたことは縁だと思いました。」
ファム・トゥエンさんの話では、その歌の歌詞は前もって彼の頭の中に浮かんでいたようで、よく考えなくても自然に曲がわいてきたようです。ファム・トゥエンさんの話です。(テープ)
「その歌は既にあったみたいで、私が書かなくても、誰かが作曲するはずでした。ジャーナリストたちによく聞かれたんですが、その歌は私の気持ちだったと、いつも同じ答えをしています。
その気持ちは長引いた戦争から勝利の日がやっと来たというべトナム人だれもが思う共通の気持で、勝利の日に沸いたんですね。この歌の力はその気持ちによるもので、大勢の人たちと共有していたので、さらに大きくなったんだと思います。」
ファム・トゥエンさんは80歳を超えいろいろな作品を作曲してきましたが、「大勝利の喜びの日にホーおじさんがいるようだ」の歌はベトナムの音楽の特別な位置を占めています。40年たった現在でも、この歌はベトナム人の心の中に深く刻まれていて広く歌い継がれています。