ベトナム戦争が終結してから40年経ちましたが、多くのアメリカ人にとってアメリカの敗北は寂しい記憶であり続けています。なぜ世界第一の経済・軍事大国はフランス植民地主義者との戦いに苦しんだ貧弱なベトナムに負けたのかが納得できないのです。その理由は様々ありますが、独立、自由のために戦うベトナム民族の決意が第一の理由として取り上げられました。
ベトナム戦争はアメリカの歴史における大きな節目として見做され、政府と国民との関係、また、アメリカがベトナムの内政に関与した要因とされる冷戦に関する立場を変えました。
アメリカ内部に論争を引き起した敗戦
スペッター教授
数十年にわたり、ジョージ・ワシントン大学でアメリカ軍事史を研究、教育しているスペッター教授は「今だにベトナム戦争の敗北はアメリカ内部に論争を引き起こす問題であり続けている」と明らかにし、次のように語りました。
(テープ)
「アメリカは敗戦でなく、ニクソン大統領はアメリカ議会と国民の圧力との間で忍耐の限界を前に軍を撤退させ、休戦しただけであるとの意見があります。一方で、アメリカの失敗の理由としてベトナム共和国は政権をうまく、運営できず、汚職が横行したため、市民の支持を得られませんでした。南部の共産主義反対者とさえ連携できなくなりました。」
スペッター教授は歴史研究に従事する前、ベトナム戦争に参戦しました。彼はアメリカの敗北について次のような見解を述べています。
(テープ)
「アメリカ政府と報道界の多くの人は南ベトナムへのアメリカ軍の関与は素早い勝利に導いたり、北ベトナムの軍隊を後退させたりすると期待しました。実際、アメリカはベトナム戦争を正しく評価できませんでした。当時、マクナマラ国防長官は相手に勝ち目がないことを納得させれば、相手がやめると言明しましたが、北ベトナム政権はやめませんでした。ベトナム共産党政治局とレ・ズアン書記長はアメリカ側に北ベトナム軍の決死の精神を示すなら、アメリカの意志が弱くなると判断したと思いました。アメリカの意志が弱くなったことは事実です。」
ベトナムは独立、自由のために戦う
アンドレス・サウバゴット元大佐
ベトナム戦争の直接、参加したアメリカ退役軍人は誰よりもこの戦争と敵側をよく把握したでしょう。9年間にわたり、ベトナム共和国政権の顧問を務めていたアメリカ軍のアンドレス・サウバゴット元大佐は上司の命令に従い、ベトナムに赴きました。
(テープ)
「ベトナムに赴任する前に、ベトナム歴史を少しでも知らず、ベトナムが中国、フランス、日本、そして、アメリカの侵略に苦しんでいたことも知りませんでした。ベトナムは独立と自由のためだけに戦いました。これは事実です。」
サウバゴット氏はベトナムの至る所に行き、住民、中でもベトナムの革命兵士と接触し、ベトナムの歴史と文化、風俗習慣への理解を深める中で、この戦争でアメリカ側には勝ち目がないと認識するようになりました。
(テープ)
「我々は必ず負けると認識しました。ニクソン大統領はより早く軍を撤退した方が良かったでしょう。アメリカやフランスは遠い国へ遠征する一方、ベトナム人は自らの領土で、自分たちの独立、自由のために戦いました。これは大きな違いだと思います。ベトナムに生まれたなら、革命運動に参加し、絶対に侵略者を受け入れません。」
アメリカは決して勝利しない
デビード・ランブ氏
アメリカはベトナムから軍を撤退せざるを得なかったことにアメリカをはじめ、各国の戦場ジャーナリストの貢献があります。彼らは戦場から真実の写真や記事を報じることで、アメリカ人と国際社会にベトナム戦争の事実を把握してもらい、アメリカ政府に戦争を終結させるよう圧力をかけるよう世論を煽りました。アメリカのUPI通信の元戦場ジャーナリスト デビード・ランブ氏は次のような記憶を語りました。
(テープ)
「ベトナムに行く前、ベトナム戦争、つまりアメリカ政府の共産主義との戦いを基本的に支持ていました。しかし、2年にわたりベトナムに滞在した後、自分の立場は逆転しました。アメリカはこの戦争に参加しなかった方が良かったと思います。アメリカはなかなか勝てないことを認識しました。」
ランブ氏は1968年から1970年にかけて、ベトナムの各戦場を回りました。また、1975年4月、ベトナムに戻り、ベトナム共和国政権の崩壊に関する情報を伝えました。ランブ氏は次のように話しました。
(テープ)
「我々の最も大きな誤りはベトナム人の不屈な精神、忍耐力、民族主義、戦闘力、歴史、文化、言語を理解しなかったことでした。戦争する上で、これは死に導くような知識不足です。アメリカはベトナム戦争から経験を引き出せればと思います。」
ベトナム南部完全解放・国家統一40周年にあたり、示されたベトナム戦争に関するアメリカ人の立場や視点はベトナムの戦勝の価値を立証するものとなるでしょう。