(VOVWORLD) -ゴックホイ県ダクラン村に住む120世帯の少数民族ジェチエン族は、ゴムの樹液採取の仕事が中心ですので、新しい日は、早朝2時半から始まるのが普通です。
ダクラン村に入る門 |
ベトナム戦争中の1959年5月19日、ホーチミン主席は南部解放を目指し、北部が南部へ武器や物資を輸送する補給路として使用するルートを建設することを決定しました。このルートはのちにホーチミンルートとなりました。当初は山中やジャングルに縦横に張り巡らされた小道でしかなかったこの補給路の存在は南部完全解放の闘争に大きく貢献しました。
今日、全長3180kmに及ぶこのルートでは高速道路の建設が進められています。中部高原地帯テイグエン地方を通るこのルートの長さは155kmに上り、2000年に建設されました。この道路が完成されて以来、道路の両側に住む数百世帯の少数民族の生活は変化しつつあります。
ゴックホイ県ダクラン村に住む120世帯の少数民族ジェチエン族は、ゴムの樹液採取の仕事が中心ですので、新しい日は、早朝2時半から始まるのが普通です。
村住民の一人によりますと、2003年にゴムの木を栽培し始めました。現在、1世帯は、少なくとも3千平方メートル、多くとも2万平方メートルに上るゴムの栽培面積を所有しています。一人当たりの1か月の平均所得は400万ドン、約2万円となっています。
(テープ)
「村人の殆どは、ゴムの栽培と樹液採取の生計で立てています。私たちは、ゴムの樹液採取などについて訓練を受けましたよ。その一方で、私たちは、稲の栽培をしています。」
以前、ホーチミンルートが建設されない頃、ダクラン村からゴックホイ県の中心地に至るまでは16kmしか離れませんでしたが、険しく凸凹道しかなかったため、この道を徒歩で行く可能となりますが、半日もかかったようです。
ダクラン村の長老の話を聞いてみましょう。
(テープ)
「以前、道路が整備されなかった頃、山中やジャングルに縦横に張り巡らされた獣道でしかなかったため、往来は大変でしたよ。病気の時にも、元気な人が交代で患者を背中に乗せて、診療所へ歩いていくしかありませんでした。お陰さまで、現在は大きな道路が出て、とても助かりました。」
同じく、北部と南部の各地方に至るまでのホーチミンルート沿いに住む中部コントウム省ダクラン村の住民たちは、自分が生産した農産物を容
易に消費できるようになり、生産活動に励んでいます。従って、多くの家庭は、ゴムや、コーヒー、大麦などの栽培による年収は数百億ドンになり、数百万円程に上っています。また、病気や身寄りのないお年寄りによる貧困世帯は5戸しかありません。
ダクラン村党委員会委員長は次のように語っています。
(テープ)
「全ての党員は、経済発展と科学技術導入に先駆けています。現在、現地住民の生活は以前より、大きく改善されるようになりました。経済の傍ら社会状況も好転してきました。」
その一方で、銅鑼シンバルの演奏、踊り、祭りなどのジェチエン族の伝統的な文化は昔のまま保たれています。現在、ダクラン村は、ジェチエン族の文化を理解したい国内外の観光客にとって魅力的な目的地となっています。