今月30日と31日の両日、中部フエ市で、ASEM=アジア欧州会合の「持続可能な開発のための創造的な教育・人材育成」に関する会議が開催されます。
ビスチョバガ議長の就任後の初外遊となるこの訪問は、スイス側と同議長がベトナムとの関係強化を重視していることを示し、両国議会間の協力、及び、教育、貿易などの分野での連携に新しい展望をもたらすと期待されています。
現在、首都ハノイ、ホーチミン市をはじめ、国内各地は「観光を重点的な経済部門へと発展」に関する政治局の決議8号の実施に取り組んでいます。ベトナムのグリーンエコノミーとされる観光部門は重点的な経済部門への発展に際し、様々なチャンスに恵まれ、経済構造の移行、国際社会への参入、ベトナムの国土と人々のピアールに貢献するとしています。
欧米社会ではポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭しています。近年、多くの国々で行なわれた選挙結果はポピュリズム政党の成功を示していると言えます。現在、ポピュリズムはヨーロッパの多くの社会組織と民主政党の懸念となっています。
ベルギー・ブリュッセルで発生し32人が死亡した連続自爆攻撃から1年を迎えた22日、イギリス・ロンドン中心部の国会議事堂付近で、テロ事件が発生しま した。これは、2005年7月に発生したロンドン同時爆破事件以来、最悪のテロ事件で、欧州諸国がテロ防止対策において直面している困難を示すものと見ら れています。
2017年はベトナムとインドの国交樹立45周年、及び戦略的パートナー関係確立10周年となっています。
ベトナムのグエン・スアン・フック首相の招きに応え、シンガポールのリー・シェン・ロン首相夫妻は21日、ベトナム公式訪問を開始しました。この訪問は、両国関係が良好に発展している中で行われるもので、両国の戦略的パートナーシップの進化に貢献すると期待されています。
既にお伝えしましたように、チャン・ダイ・クアン国家主席の招きに応え、イスラエルのルーベン・リブリン大統領夫妻は19日から25日にかけて、ベトナム国賓訪問を行なっています。
気候変動が世界規模で複雑に推移しています。気候変動がもたらす影響を前に、人間の権利保護に取り組んでいるベトナムは子どもの権利保護に特別な関心を寄せています。
イギリスを除くEU欧州連合27カ国は先週、ブリュッセルで首脳会合を開きましたが、イギリス離脱後のEUの将来像について合意を達成しないまま、終了しました。
既にお伝えしましたように先頃、アメリカ国務省が2016年版の人権報告書を発表し、その中で、ベトナムの人権擁護に関する成果を認めました。
先ごろ、アメリカのASPI=アジア協会政策研究所は、「アジア太平洋地域の貿易・経済統合のロードマップの制定」と題する報告書を発表しました。その中 で、「アジア太平洋地域を含め全世界の貿易が多くの試練に直面している背景の中で、地域統合の新しい方向を探る必要がある」と指摘しています。
11日、中部高原地帯テイグエン地方ダクラク省、ブオンマトート市でテイグエン地方への投資振興会議が行なわれました。席上、グエン・スアン・フック首相と各省庁の指導者らはテイグエン地方が潜在力を活かし、中部、東南部、西南部の発展の礎となるよう、あらゆる条件を作り出すと確約しました。
アメリカ下院の共和党首脳は3月6日、医療保険制度改革 (オバマケア)の大部分を撤廃し、代替案となる保険政策構想AHCA=「アメリカン・ヘルスケア・アクト」を正式に発表しました。
9日、ハノイで、「物流・貿易の円滑化推進と持続可能な開発のための2030アジェンダの遂行」を討議する国連のアジア・欧州高級実務者会議が3日間の議事日程を終え、閉幕しました。この会議は、国連が提唱している持続可能な開発のための2030アジェンダを実現させるためのベトナムの努力を示しています。
ベトナムは男女平等の実現で高い成果を収め、ミレニアム目標の実施で国連から手本となったと評価されました。党と国家、各省庁、レベルの努力により、男女平等の推進は進展を見せ、経済社会発展に大きく貢献してきました。
中国の全国人民代表大会(全人代)で5日に示された2017年の成長率目標は「6.5%前後」にとどまり、中国経済の成長減速が容認される形となりました。昨年の成長率の実績は6・7%で、1991年以降、最も低かったですが、今年の目標値はさらにそれを下回わりました。
この数年間、ベトナム観光部門は著しく発展しており、多くの重要な成果を収めてきました。
投資貿易の自由化に関するボゴール目標の達成はAPEC=アジア太平洋経済協力会議加盟諸国の第一の関心事となっています。中部ニャチャン市で開催中のSOM1=第1回高級実務者会合で、出席者らはこの問題を詳細に討議し、様々な行動を提出できるよう知恵を絞りました。
現地時間の2月28日、アメリカのトランプ大統領は上下両院の議員を前に施政方針を示す初めての演説を行いました。