貧しい少数民族への住宅用地の提供に関する政府の政策に従って、これまでに、南部メコンデルタ地域のチャビン省では、2千世帯がこの政策の対象となりました。
まもなくベトナム全国各地のおよそ2千2百万人の生徒が2015~2016学年度に入学します。
70年前の1945年の8月、北部山岳地帯にあるトェンクアン省ソンズオン県タンチャオ村から「総蜂起」命令が全国各地に下されました。当時、およそ2千万人のベトナム国民が立ち上がり、政権奪取しました。
アセアン=東南アジア諸国連合が結成された直後、アセアン共同体の構築という構想が練られました。
南部チャビン省チャウタン県にあるハン寺は仏教徒の構造で美しいお寺として広く知られています。
リャカーを引く女性たちは少数民族パッコ族の人々ですが、毎日、ベトナム中部クアンチ省ラオバオ町のラオバオ国境検問所からラオスのサバナケット省のデンサバン検問所までリャカーで荷物を運ぶ仕事をしています。
ベトナム中部クアンチ省はラオスのサバナケット県とサラバ県に接する260キロに及ぶ国境線を持っています。
とつぜんですが、リスナーの皆さんは、「ニョクマム(Nuoc mam)という言葉を聞いたことがありますか。
南部完全解放祖国統一してから40年が経った現在、母国ベトナムに帰国して、事業活動を行う国外在留ベトナム人が日増しに増えています。母国への送金額や国外在留ベトナム人が出資する企業の数も年ごとに増加しています。これは母国ベトナムに対する国外在留ベトナム人の気持ちの表れと言えます。
中部クアンチ省のベンハイ川に架かるヒエンルォン橋の両岸にある歴史遺跡群は国家特別遺跡になっています。
2011・2020年期におけるベトナムの人材育成戦略において、ベトナム政府は人材が国の持続可能な発展並びに国際社会への参入事業に向けての重要な基礎であるという目標を掲げています。その目標を達成するため、専門職業学校は地域諸国と競争力を向上させる必要があります。
解放されてからこの40年間、ホーチミン市は多くの困難を乗り越え、大きく発展し、国の経済、文化、教育、科学技術の中心地となっています。ホーチミン市の発展は全国の発展事業に重要な貢献をしてきたと評されています。
ベトナム戦争後、サイゴンかいらい政権の多くの高官や、幹部、職員は海外に亡命せず、国内に引き続き住むことを選びました。過去のことを棚上げにして、全 国民はこれらの人々とともに、力を合わせ、国の発展事業を進めてきました。これはベトナムの民族和合精神を示すものとされています。
2012年、ベトナム戦争のアメリカ帰還兵グループは恨みを閉ざし和解し、かつての戦場を花園にし、2つの戦前にいる生き残った兵士が互いに出会い、過去の教訓を考え、戦争の後遺症をいやすというメッセージを伝えるため、ベトナム戦争に関するドキュメンタリー映画を制作しました。
ベトナム北部フート省はベトナム建国の祖フン王の故郷であり、有名な民謡「ハットスァン」の発祥地でもあります。
現在、ベトナムは、17の世界遺産がユネスコ教育科学文化機関から認定されています。
ベトナムとオーストラリアは、長年にわたり、貿易、国防、教育養成などの分野において協力関係を持っています。
チュォンサ群島はベトナム中部カンホア省の沖合いにあります。
ホンチュオイ島は南部最南端カマウ省チャン・バン・トイ県ソンドク町から沖へ約35キロのところにあります。
南部チャビン省ティエウ・カン県タン・フン村は、ベトナム身体障がい者・身寄りのない孤児保護協会から繁殖牛の飼育を試験的に行われる唯一の村となっています。