今月初めに、グェン・タン・ズン首相は関税、税関分野の行政手続きの管理と改革の強化に関する指示24号を出しました。これは、企業の平等な経営環境作りと時間の節約とコストダウンを目指す政府の決意を示しています。
12日、ベトナムで、多国間外交政策に関する最初の会議が開催されました。この会議には、国内の各省庁、地方の代表、及び各国の学者、およそ200名が出席しています。
先頃、ミャンマーの首都ネピドーで開催されたASEAN=東南アジア諸国連合の第47回外相会議と関連各会議が閉幕しました。会議では多くの成果が収められ、ASEANの団結を示しました。
今年の8月8日アセアン東南アジア諸国連合は創立47周年を記念します。このおよそ半世紀にわたり、アセアンは多くの変動や浮き沈みを経てきましたが、現在、団結とダイナミックな発展を遂げており、世界の主要国と国際諸組織の重要なパートナーとなっています。
8月7日、イスラエルとパレスチナ自治区ガザ地区を拠点とするイスラム原理主義組織ハマスにより合意された72時間の一時停戦は日程の3分の2を終えました。
1961年から1971年までの10年間に、アメリカ軍は南ベトナムの4分の1の面積に366キログラムのダイオキシンを含む 8 千万リットルの化学毒性の強い枯葉剤を散布しました。
アメリカのオバマ大統領は「アフリカは経済が世界で最も急速に発展している地域であり、中流層が増加しつつあり、アメリカにとって重要になっている。アフリカとの連携強化はアメリカの利益である」と強調しました。
ベトナムは、ASEANの協力、団結の強化や地域の平和、安全保障に対するASEANの主導的役割と責任の向上、ASEANと対 話諸国との協力関係の促進、また、ベトナムの役割と地位の向上を狙っています。
人権に関するUPR=普遍的定期的審査の実施、の一環として国連の報告官とベトナムの関係各機関との対話は重要な活動です。法律、信仰の自由、宗教の自由に関するベトナム政府や関係各機関と国連の報告官との率直的な意見交換は人権問題に関するベトナム政府の善意とオープン性、かつ、協力的な態度を示しています。
アメリカはインドとの関係強化を目指しますが、両国間の関係が急速に深化する公算は小さいと評されています。
29日、韓国で、ラオス、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーのメコン川流域5カ国と韓国による第4回外相会議は、メコン地域内の開発協力や、経済・政府間協力、朝鮮半島情勢などについて議論した他、今後3年間の行動計画を採択し、閉幕しました。
EU=欧州連合は25日付の官報で、ロシアやウクライナ東部の親ロシア派の15人の個人や18の団体・企業に対する資産凍結などの追加制裁リストを公表しました。
19年前の7月28日に、ベトナムはASEAN=東南アジア諸国連合に正式に加盟しました。ASEAN加盟19年間の実践はASEANへの加盟という決定は正しいものであり、ベトナムの国際社会への参入にとって戦略的な意義を持つことを裏付けました。
2014年と2015年に行われている「革命功労者の恩に報いる」運動の重要な課題は全国の革命功労者に対する優遇政策の実施状況を点検するということです。
イラン核問題を巡りウィーンで開かれていた同国と主要6カ国(米英仏中露独)の包括交渉は19日、今月20日の交渉期限を11月24日まで4カ月延長する ことで合意しました。これは積極的な兆と見られています。
先頃、グェンタンズン首相はWTOへ加盟したベトナム経済が急速で、かつ、持続的に発展するための政府の行動プランを発表しました。この計画は経済の競争力の向上を目指し、各省庁と企業が実施すべき対策を明確にしています。
マレーシア航空機がウクライナ東部ドネツク州で撃墜された事件で、政府軍と親ロシア派の戦闘が続くウクライナ情勢は大きな転換点を迎えました。
16世紀から19世紀にかけて、西側諸国の地質学者や航海者、地図学者により作成され、出版された140枚あまりの地図にはホアンサ群島(英名:パラセル諸島)が描かれ、同群島に対するベトナムの主権を立証するものとなっています。
ディエン・ビェン・フー作戦に勝利した翌日の1954年5月8日、インドシナにおける戦争の終結と平和の回復に関するジュネーブ会議が開催されました。
イスラエルとイスラム原理主義組織「ハマス」との停戦が不調に終わったことで、イスラエル軍はパレスチナ暫定自治区のガザ地区への軍事作戦を再開しました。これにより、中東和平プロセスは再び行き詰まりの状態に落ちいています。