フエは19世紀から20世紀にかけて、ベトナム最後の王朝であるグエン朝の首都として栄えました。フエには、中国の清朝とフランスのバロック様式、ベトナムの伝統的なものを取り入れた3つの建築様式が合わさった多くの遺跡が残されています。
ベトナムでは、最近、ストリートアートが、絵だけでなくて、路上での音楽ライブや劇のパフォーマンスまでを指すようになりました。ベトナムの若者の間で人気があって、その動きが広がっています。
昔、ハノイ郊外にあった鍛冶職人の村からやってきた人たちがこの通りをつくりました。以前は、みんな鉄を打って金属製品を作っていましたが、現在では、機械を使っての製造や既成品の金属製品店になっています。
ハノイ旧市街で、今はその通りの名前と同じ物を売っていないところがたくさんありますが、ハンバックは例外です。
昔のハノイは小さな町で、その中心は現在ハノイ旧市街と呼ばれている所でした。ちなみに今のハノイですが、昨年、2015年の統計によりますと、面積はおよそ3300平方キロメートルで、人口は750万人。ベトナムで2番目の大都市です。
今日のハノイ便りは、若者によるボランティア活動についてお伝えします。
リハンさんはフランスのノルマンディー出身です。撮影のため、世界32カ国を訪れたというリハンさんですが、現在、ベトナム中部のホイアン市の旧市街に住んでいます。永住の予定です。
今年の4月16日は旧暦の3月10日で、ベトナム建国の祖フン王の命日です。ベトナム人は小さい時から、“どこにいても、3月10日の命日は覚えておくこと”と教えられてきました。こうして自然と、民族としてのつながりが伝えられていきます。
ベトナムの陶器について言えば、だれもがバッチャン焼きを思いますが、今日のこの時間はベトナムの北部の伝統的陶器生産村としてもよく知られているチュダウ村の陶器についてお伝えします
ベトナムの伝統的な旧正月テトから早いものでもう2ヶ月経ちましたが、別の地方では、まもなくお正月を楽しむ民族があります。それはクメール族で、「チョール・チュナム・トメイ」 というお正月です。
ベトナム語で、Trau(チャウ)とは蒟醤(キンマ)というコショウ科の薬草のことです。Cau(カウ)はビンロウジュというヤシ科の植物を指します。この2つの言葉を併せてTrau Cau(チャウ・カウ)と言うと、これらを原料に用いた嗜好品を意味します。
今日のハノイ便りは、ベトナム東部海域いわゆる南シナ海にあるチュオンサ諸島の診療所についてお伝えします。
北部の春祭りシーズンの幕開けとなるのが、タイビン省のケオ寺祭りです。この祭りは旧暦の1月4日に行われます。仏を供養する儀式の他に、かえる獲り大会、料理大会、爆竹投げ大会という3つの催し物が行われます。
ベトナム中部にある町ホイアンはユネスコの世界文化遺産として知られており、国内外の観光客を引き付けていますが、近年、古い町並みだけでなく、服のオーダーメードもホイアン観光の目玉になっています。
ベトナム語でトンは投げる、コンとは布で作ったオレンジ位の大きさがある球です。球体に糸を巻き付けた日本の手毬とだいたい同じものです。色とりどりの布地で作られます。コンの中に籾殻のついた米や綿の実、豆などを入れることもあるそうです。
今日のハノイ便りは、ここのところベトナムで広がりを見せているダンススポーツについてお伝えします。
マイドン地区は、昔から作られている豆腐でも知られていますが、レスリング大会でも有名です。
ライチャウ省にあるシン・スイ・ホ村は、少数民族モン族の居住地です。ライチャウ省の省都、ライチャウ市の中心部から35キロのところにあります。標高は1400メートルです。
今日のハノイ便りは、ベトナム東部海域、いわゆる南シナ海にあるベトナムのチュオンサ諸島に建てられた灯台についてお伝えします。
ベトナム東部海域にあるチュオンサ諸島とホアンサ諸島は、およそ1000年前からベトナム人が定住していたと言われています。チュオンサ諸島が英語名でスプラトリー諸島、ホアンサ諸島がパラセル諸島になります。